違和感
2019年04月26日 日常
腰痛が未だに癒えず、日々の業務にも一苦労な状況が続いています。
浪々とした日々の出来事に目を向けると、最近は交通事故のニュースが多い。
その中で、一つの違和感を感じる。
何故、「容疑者」ではないのか。
各媒体のニュースでは、逮捕されると「容疑者」という呼称がつく。
しかし、人を轢き殺しても逮捕されない人がいる。
彼らの共通点は、社会的地位が高い事。
警察の発表では、「怪我をして入院している」や「逃走・証拠隠滅の恐れがない」ので任意で聴取をしているとある。
例の元院長や会社役員などは、新聞紙面に乗った段階では「さん」付け。
一方、バスの運転手は直ちに「容疑者」となった。
この件に関しては、違和感を感じたのは自分だけかと思っていたが、そうではないようで色々と批判は出てきているらしい。
自分が違和感を強く感じたのは、実は自分の住む町でも、以前に医者の奥さんが人を轢き殺した事故があったが、新聞に載った時には「さん」付けであった。
警視庁は、元院長という地位の事は後々知ったことで、この手の指摘には当たらないという発表があったようです。
まあ、マスコミが「元院長」という呼称を使って、さらに特権階級的な印象操作を行なっている向きも感じます。
加害者の以前の地位と今回の事故は因果関係は無いのですから、わざわざ「元院長」と呼ぶ必要があるのかも疑問です。
さて、ニュースでは元院長は事故を起こしてすぐに、息子に電話をしていると報道されている。
ここからは推測のお話ですが、この息子が警視庁に何らかの情報(父は元院長なので、またはこの息子も地位の高い人物で、事を穏便に済ませて欲しいという要望)がもたらされたのではないかと、我々一般市民は考えてしまう。
警察組織は、市民の安全を守る崇高な目的を持った組織であると理解しています。
当然、反感や負の感情はありませんが、こういうことに関しては違和感が拭えません。
交通事故でも、痴呆による深夜の徘徊で車道を歩いていた、酒に酔って車道で寝ていたなどの被害者にも非がある場合はともかく、何の落ち度もない被害者なら、その事故を起こした者には厳正な処分を望みたい。
この違和感が払拭される事、そして多くの人を傷付け、殺した事には相応の処罰が下ることを切に願う。